紫の思いを抱こう

夏、ということは おとなりJr.の季節がやってくる。

なのにまだ私は去年のおとなりJr.を心の中で消化しきれていない。

 

 

 

私だって、華原朋美と同じように10年後も20年後も、もっともっと成長を見たかったよ、梶山朝日くん。

 

 

 

 

 

最初に言っておくが私はトラジャ担ではない。梶山担でもない。

正確に言うと、なれなかった。

 

もともとデビュー組を担当していたがジュニアには疎かった私が初めて朝日を見たのは、2017年のジュニア祭りだった。嵐のバックについていたこともあってTravis Japanの名前は知っていた私だが、「チケットあるんだけど行かない?」という友達の一声がなかったら、きっと私はあなたを知らないまま一生を過ごすことになっていただろう。

 

 

まさに、一目惚れのような感覚だった。

 

一応せっかく行かせてもらえるんだから予習くらいはしなければ、と思い少クラを何本かは見たが正直その時朝日にはそれほど目を奪われなかった。けどあのたまアリで私はずっと視線泥棒こと梶山朝日に視線を奪われていた。

 

 

なんて楽しそうに踊るんだろう。

なんてキラキラした笑顔をみせるんだろう。

 

本当にありがたいことに友達が超が付くほどの良席を当ててくれたから、朝日が目の前を通るたびに腕を大きく振れば彼は答えてくれたし、モニターに抜かれるたびに歓声を上げればもっとキラキラした姿で返してくれた。

 

 

 

たった3時間で、私の中に梶山朝日が入り込んできた。

 

 

 

普通ならここで梶山担になってるところだろう。けれど、私の変なプライドが邪魔をした。「ジュニアにおちたら負けだ!!」(何にだよ)と無駄に踏みとどまろう精神を持ち続けていた私は梶山担にはならなかった。

けどあの一公演の効果は絶大で、気づけば少クラをあさったり検索をかけてそれぞれのグループや個人について死ぬほど調べた。掛け持ちであること・バイトが校則で禁止されているからお小遣いの中で何とかしなければいけないからキツかったことを踏まえればまあ仕方のないことではあったのかもしれないけど、今思えばジュニア担になることを拒んでいたあの時期ほど無駄な時間はなかったと思う。

 

 


忘れもしない7月15日。

 


私は朝日に遭遇した。電車に乗っていたらなんだか向かい側に見たことのあるような人がいることに気づいた。サングラスをかけていたけれど、きっと、朝日だ。あの年齢にそぐわないダンディーな顔立ちは絶対にそうだ。一瞬でわかった。

けど電車の中。しかも人違いだったらどうしよう。ましてやジャニーズどころかプライベートの芸能人に初めて遭遇した私は声なんかかけることはできず、電車を降りた後、秒で友達に電話をかけた。

あのとき電話を聞いてくれた那須担の友達よ、支離滅裂でごめんな。

 

「ねえ!!!朝日が!!朝日がいた!!!朝日!!顔濃かった!!!」

 

あとで検索をかけてみたら北山くんの舞台を観に行っていたようだ。電車の方向的にも時間的にもやっぱりあれは朝日だった。

たった一回の公演でしか見ていないのに、すぐにわかるくらい私は梶山朝日が好きなんだとそのとき気づいた。

 

 


だけど結果的にそれが、私が最後に会った朝日の姿になってしまった。

 

 

 

 

謎のプライドも消え始めて、「朝日がいる現場に行ってみたいなぁ」と思い始めていた秋のことだった。

ある噂が出た。

そんなの嘘だよね?噂なんてしょせん噂だよね?ほら少クラだっているじゃん?

 

 


9月30日、梶山朝日が泣いた。

 


 

たぶんそのレポをみた誰しもが悟ったと思う。だけどジュニアのそんな厳しい世界を知らなかった私は信じられなかった。

きっとまたドル誌にも出てくれるだろう。少クラでも目線泥棒になってくれるだろう。

 

けれど朝日は ”アイドル” からそっと立ち去った。

 

紫色のペンライトを振る前に、朝日はいなくなった。

駆け込みで友達に代行してもらったジャニショの写真2枚、計320円が私が彼に払った最初で最後の金額だ。

結果的に朝日に出会ったあのジュニア祭りは、私がアイドルをしている彼を観た最初で最後の現場だった。

 

 

あの日たった一言でも「応援してます」と声をかければよかった、現場に入っておけばよかった、ジャニショの写真をかえばよかった、

梶山担になっておけばよかった。

何回も後悔した。


だけどいくらそう思っても、もうジャニーズに朝日はいない。

トラジャ担ではないのに5人の夢ハリを見るのがつらかった。かじんちゅパートが大好きだった。何回も何回も聞いていた。その度に悲しくて寂しくなった。

 

 

朝日は今どこで何をしているんだろう

 

そんなことを思っていた秋の終わりにトラジャは再び7人になった。

シンメホイホイな私があの死ぬ気でいろいろ調べていたときに、いいなぁ好きだなぁ、なんならセク松時代に少し見てたなと思った松松がトラジャに加入した。

 

松松、特にまつくを見たいからトラジャをちゃんと見ようかな、と7人になった夢ハリもみた。

Dance with meももらった。松松が入っていい意味で少し雰囲気の変わったトラジャにとっても合ったかわいい曲だと思った。朝日が踊っているところはなんだかあまり想像できなくて笑った。

色々な雑誌で2人の思いや覚悟、松松を含めたトラジャになろうと決めた5人の考えを読んで、また7人のトラジャを見るのが楽しみになった。

 

まつくは私にトラジャを見る楽しさをまた教えてくれた。

 

 

 

 

 

私はトラジャ担ではない。なんならスト担とハイハイ担を自信をもって、している。

こんなに語ること自体申し訳ないほどド新規のジュニア担で、9人の時代も8人の時代もプレゾンだってミューコロもえび座も、生では知らない。"あの夏"なんて言うこともできない。

 

だけど梶山朝日が好きだ。今でも大好きだし、自担にしたかった。

 

 

 

私なんかが言うことじゃないのはわかっているけど、トラジャは優しかった。

美勇人の白を如恵留に託し、朝日の紫はグループの色として残してくれた。玉虫色の衣装も少し新しくして松松に託してくれた。

紫のペンライトを振りたかった、けど間に合わなかった私はそれがすごく嬉しかった。紫が好きでもいいんだよ、そう言われている気がした。

 

 

春過ぎまでバタバタしているから、夏が終わったら次の現場はいつになるかわからない。

けれど次こそTravis Japanの現場に入ろうと決めている。

そのときは、トラジャをまた見せてくれたまつくのオレンジのペンライトを振りたい。

だけどやっぱり私は梶山入りのオタクだから、紫の思いも抱きしめていたい。

「俺たちの二幕 Life is musical」で笑顔になって、うみが一人で歌う「明日はない覚悟して 今日を生きよう!」でちょっぴり寂しくなりたい。

 

 

 

梶山朝日くんへ

 

 

今、どこで何をしているか、何も知りません。わかりません。

岡山の豪雨被害は大丈夫でしたか。

 

私は未だに、あなたのおとなりJr.を見て切なくなります。 

それでもきっとどこかであの太陽みたいな笑顔で笑っていると思うから、私も頑張ろうって思います。

だけどもうちょっとだけ去年の朝日に浸らせてください。

 

ジュニアの凄さと、彼らを応援することの楽しさと、少しの寂しさを教えてくれてありがとう。

 

 

 

夏が来ますね。

 

またたくさん焼けて、ますますダディ山になってください。